ハワイの歴史2

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ハワイ王国の誕生

ハワイ王国が存在していたのは、1795年から1893年に約100年間でした。
1700年代後半、ハワイへキャプテン・クックを始め、アメリカからハワイへやってくる白人が増えてきました。
ある時、白人とハワイ島の首長との争いで多くの島民が死亡し、反撃に出た首長はアメリカから来た船乗りを殺害しました。
カメハメハ1世は生き残った白人を保護し、軍事顧問として迎えました。
このようにカメハメハ1世は、アメリカやイギリスなどの国と友好関係を大切にし武器の援助を受けて、支配する領地を広げていきました。
1795年にハワイ王国の建国を宣言し、15年後ハワイ諸島全ての島を統一しました。1810年のことです。

 

◆カメハメハ王朝

ハワイ王国の誕生後、カメハメハ1世の息子であるカメハメハ2世、3世とハワイを統治していました。
カメハメハ2世の時代にはハワイのキリスト教化が進み、カメハメハ3世の時代には、イギリスの憲法を参考にして1840年憲法が制定されました。
ハワイを近代国家と認める国が増え、ハワイ王国を独立国家とみなされるようになりました。
その後、カメハメハ1世の孫である4世はハンセン病施設や病院を建設しましたが、29歳の若さで亡くなり、兄のカメハメハ5世が王朝を引き継ぎます。
そして1872年カメハメハ5世は後継者を指名できぬまま亡くなってしまい、カメハメハ王朝は終焉を迎えました。

 

◆カラカウア王朝

カメハメハ5世の死後、国王を選出するための選挙を行い1873年にルナリロ国王が誕生しましたが、即位の1年後に崩御してしまいます。
再度行われた国王選出選挙では、激しいネガティブキャンペーンが行われ、カラカウア王が選出されました。
カラカウア王はイオラニ宮殿を建設した王で、王位継承で混乱続いた為、カラカウア王は妹のリリウオカラニを後継者として指名しました。
カラカウア王が崩御した後、ハワイの女王としてリリウオカラニが即位しています。

 

ハワイ王国の滅亡

アメリカ合衆国からの入植者が増加してくると、ハワイ王国よりアメリカ合衆国寄りの政治を求める声が、サトウキビの輸出で儲けていた財界から出てきました。
1887年クーデターが起こり、国王の権限を制限され、先住民のハワイの人々やアジア人の選挙権等がはく奪されました。
そして1893年政府転覆を計画したドールらの保護を名目にアメリカの軍艦がハワイに到着しリリウオカラニは幽閉されてしまいました。
ドールはハワイ臨時政府を打ち立て、ハワイ王政の廃止を宣言しました。